創業の精神とUターンで見えた「現場」の真実
Q:まずは、矢野興業の成り立ちと、辻常務が宮崎に戻られた経緯についてお聞かせください。
A:当社の原点は、宮崎県五ヶ瀬町にあります。矢野文昭会長が自衛隊除隊後に故郷へ戻り林業の現場で経験を積む中で町から重機の払い下げを受けたことがきっかけでした。 当時は日本列島改造論の真っ只中で林道開設業務から始まった事業が現在の土木・建築へと広がっていったのです。
私自身は大学卒業後に県外の中堅ゼネコンで橋梁建設の現場監督をしていました。仕事にはやりがいを感じていましたが、当時は「現場が終われば次の県へ」という生活で自分の家で寝られるのは年に数回という状況でした。 結婚して家族ができても「このままでは生活が成り立たない。何のために働いているのか」という自問自答の末に宮崎へのUターンを決めてハローワークでの縁を経て2005年に矢野興業に入社しました。
Q:ゼネコンの最前線から地元の企業へ移られ、どのような印象を抱かれましたか。
A:入社当時の矢野興業は、いわゆる「イケイケどんどん」の勢いがある会社でした。 とにかく現場をこなし売上を上げる。活気はありましたが一方で組織としての管理体制や仕組みづくりはこれからの状態でした。私は前職での経験を活かし、もっと効率的に、そして持続可能な組織にできるはずだと確信していました。