MIYAZAKI STORIES

髙山莉加

畳の上で磨いた不屈の精神

Rika Takayama

髙山莉加

柔道家

https://www.instagram.com/rika_takayama/

宮崎県出身。3歳から柔道を始め、鹿児島南高校を経て三井住友海上火災保険に所属。2024年パリ五輪の柔道混合団体で銀メダル獲得に貢献。現在は東京都内を拠点に活動し、柔道教室の講師や都城市の「みやこんじょ大使」も務める。

4100gの衝撃から始まった、柔道人生の幕開け

Q:柔道を始めたきっかけを教えてください。

A:私には2人の兄がいるのですが、彼らが先に柔道をやっていました。2,3歳の頃、道場に遊びに行っていた際に母親が試しに柔道着を着せてみたそうです。 そうしたら私が嬉しそうに道場を走り回っていたのを見て「この子には柔道をさせよう」と決めたと聞いています。 私自身は物心ついた時にはすでに柔道を始めていたので自分で選んだというよりは生活の一部として自然に始まっていたという感覚です。

 

Q:ご家族も柔道をされていたのですか?

A: 両親は柔道経験者ではありませんが母の兄、私にとっての叔父が柔道をやっていました。 その影響も大きかったのだと思います。 それと私の出生体重が4,100gもあり生まれた時から体が大きかったことも関係しているかもしれません。 予定日を1週間過ぎてもなかなか生まれてこなくて母も「明日生まれなかったら帝王切開」と言われていた日の夜にようやく自力で出てきたそうです。 祖母が抱っこした写真を見ても、とにかく重そうで(笑) 生まれ持った体格の良さは柔道をする上での一つの才能だったのかもしれません。

 

Q:幼少期から学生時代の競技生活はいかがでしたか?

A: 小学校は地域の柔道教室、中学校は部活動がなかったので道場に通いながら学校の名前を借りて大会に出ていました。 高校は宮崎を離れて鹿児島の高校へ進学しました。 鹿児島南高校に入学する際は「他県の高校を受験できない」といった厳しい制約もありましたが一般入試で体育科に入学しました。入学試験の中では体力測定もあったのですが、試験当日は雪が降っており、大変だったことを覚えています。部活動はもちろんハードでしたが、入学前からを含めると厳しい環境で3年間を過ごしたと思います。

「辞めたい」からの日本一、運命を変えた引退試合

Q:高校卒業後の進路についてはどのように考えていましたか?

A: 実は高校で柔道を辞めようと思っていました。 アスリートを食事で支える栄養士になりたいという夢があり専門学校への進学を希望していたんです。 両親や部活の先生に相談したのですが猛反対されてしまいまして……。 「とにかくインターハイが終わってから決めなさい」と言われ自分の中ではインターハイを最後の試合にするつもりで挑みました。

 

Q:そのインターハイで、大きな転機が訪れたのですね。

A: 「これが最後」と思って戦った結果、個人戦で日本一になることができました。 優勝した後、母から「どうするの?」と聞かれまして(笑)。 ちょうどそのタイミングで三井住友海上からお話をいただいたこともあり大学進学ではなく実業団という道で柔道を続けることを決めました。 高校卒業後すぐに実業団へ進むケースは当時珍しくて非常にレアな選択でしたが迷いなくその道へ進みました。

 

Q:実業団に入ってからの13年間、順風満帆だったのでしょうか?

A:決してそんなことはありません。特にオリンピック選考の時期は精神的にも追い詰められました。 当時の監督からは「前年に世界選手権に出ていなければ、オリンピックは出られない」と言われていたのですが、私はそれまで世界選手権への出場経験がなかったんです。 前年のグランドスラム東京で優勝したものの、世界選手権の代表には選ばれず「もう何をやってもダメだ、辞めよう」と、また柔道を辞める決意をしていました。

 

Q:そこからどのようにしてオリンピック代表の座を掴んだのですか?

A: 恩師が「まだオリンピック代表は決まっていないんだから、最後まで諦めるな」と声をかけてくれたんです。 その言葉を信じてもう少し頑張ってみようと思い、戦い続けた結果、最終的に代表に選んでいただくことができました。 代表内定の電話をもらった夜は電話越しには真面目なふりをして答えましたが心の中ではニヤニヤが止まらなかったのを覚えています(笑)すぐに両親に連絡し、大喜びしてくれました。

五輪の重圧を越えて、愛犬と共に歩む新たな畳

Q:オリンピック本番、特に混合団体戦での活躍は日本中を沸かせました。

A: 団体戦では、自分より一回りも二回りも大きな無差別級の相手と戦うことになりました。 指導2回を受けている非常に厳しい状況でしたが「とにかく前に出よう、攻めよう」という気持ちだけで戦いました。 「技あり」を取った瞬間は会場の雰囲気がブーイングから歓声に変わったのを感じました。 「こんなに空気を変えられるんだ」と、あの瞬間が競技生活で一番気持ちよかったですね。

 

Q:引退された現在は、どのような活動をされているのですか?

A: 現在は全日本柔道連盟からお話をいただき、各地の柔道教室を回っています。 まだ地元の宮崎からはお声がかかっていないのですが(笑)、ぜひ宮崎でも柔道教室をやりたいと思っています。 また、都城市の「みやこんじょ大使」として自分の技術や知識を地元の方々に伝えていく活動にも力を入れていきたいです。

<若者へのメッセージ>

「今」の苦しみが、輝く未来の礎になる

私は3歳から30歳まで柔道一筋で歩んできましたが、その道のりは決して平坦ではなく、何度も挫折しかけました。 しかし、苦しくても逃げずに乗り越えた先に、オリンピックのメダルという未来が待っていました。 宮崎の若い皆さんも、今、苦しいことや辛いことがあるかもしれません。 ですが、その壁を乗り越えた先には、きっと想像もしなかった輝かしい未来が広がっています。 自分の可能性を信じて、夢に向かって突き進んでください。私は皆さんの挑戦を、心から応援しています。

<若者へのメッセージ>